大人のカイダン

思ったことをありのままに書いてます。

ガール・イン・ザ・ダーク

 五月病になりかけの今日この頃。昨日ふと、いきなり死ぬのが怖くなっていろんなブログで対処法を読み漁った。

 よく、「死にたい」だとか「なんで生きてるんだろう」だとか聞くことがある。死って漠然としていて実感し得ないものだから、私は怖いという感情以外もったことない。だからこそ、気持ちはわからない。私はたぶん今まで死にたいと思うほど辛いことに出会わなかったのだろう。

 父に「死ぬのが怖い?」って聞いたら、「それは若い証拠よ」って返答が返ったきた。時とともにいろんな経験を積む中で、死を自然と受け入れていくものかもしれない。

 わりと赤裸々に死ぬのが怖いと思う理由を羅列してみると

・この世に存在しなくなるのが怖い

・この世にあるまだ経験してない経験をできなくなるのが怖い

・死の先が見えないから怖い

・何も感じない、何も見えない、ただ漠然と恐怖が支配する

といったとこだろう。こうやって羅列してみると、生への執着と共に、先が見えずわからないものへの恐怖が根底にあるんだなとわかる。

 あるサイトに、自分のために生きるのをやめて、一週間だけ相手のために生きる生活をしてみると、死への恐怖はなくなると書いてあった。なるほど、死への恐怖は自分のために生きるからこそ沸き起こるものかもしれない。死を推進するわけでは決してないけど、自分の生への執着をなくすことで、死を受け入れることができるかもしれない。

  麻生太郎がいっていた。「朝希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝して眠る。」そういった生活が人生を達観できる秘訣かもしれないと感じた。