大人のカイダン

思ったことをありのままに書いてます。

嫌われ桃子の一生

 誰しもがみなこう思っている、「人に好かれたい」と。社会的集団の中でしか生きていけない人間は、何らかの形で人と関わらないことには生きることの困難な世の中になってきている。人と関わる以上、人に好かれたいという思いは誰しもがもっており、人が憧れる人や好かれている人を見ると羨ましく思える。今日は、曲がりなりにも22年間生きて生きた中で感じた、人に好かれる生き方とは何か、人付き合いにおいて私がもつスタンスについて論じたいと思う。

 人に好かれるということだけに焦点を置いて考えてみると、一番欠かせないことが一つある。それは「忍耐力」である。

 身の回りで考えてみてほしい。あなたの周りにいる人でよく好かれている人は、あまり人に意見せず、すべてを受け止めたうえで肯定してくれる人ではないだろうか。

 まれに無意識にそれができる人がいる。私から言わせてみればたぶん何も考えてない人だ。それか、いろんな考えを張り巡らせた上で、その人を傷つけないよう最良な言葉を考え、傷つけないよう配慮している慈愛の精神に満ち溢れた、神に近しいとされている人間である。

 私は普通の人間だ。はっきりいって生きていく中で人に嫌われるのが怖いし、できるだけ私に対して良好な気持ちで笑って接してほしい。だからこそ、人と接していてマイナスな気持ちになっても、悪口を言われても、悪意を込めたアドバイスを受けても 苦手な人と接するときでも、一旦我慢して負の感情や言葉を、相手に対して向けないようにしている(忍耐力は長年培っていく中で徐々に身についていき、未だ発達段階である)。スタンスとして、自分が向けて嫌な気持ちになる言葉は、相手に対して向けないようにしようということを心がけている。ただ、完璧及び善良な人間ではないので、時には負の側面が出てしまったり、相手を傷つけてしまったりすることがある。そんなときは「おうち反省会」をしてなるべく後フォローを入れるようにしている。(無意識で行っているときが本当に怖い)人間の体というのは不思議なもので、そうしていくうちにだんだんと人と接する上で、ちょっとやそっとじゃ嫌な気持ちにならなくなり、今ではちょっとやそっとのことでは対人関係において負の感情を抱かなくなった。

 なるべくなら人に好かれたい。でも、やっぱりどうしても嫌われてしまうことも多々ある。そんなときに負の感情を全面的に向けられるのは辛いものがある。世界にいる人の中で2割は無条件にあなたのことを嫌う人が存在するというのもうなずける。

 しかし、逆に考えると、あなたのことを嫌いな人はあなたにとっての運命の人かもしれない。よく、好きと嫌いは紙一重というが、嫌いという感情は、好きという感情よりもエネルギーが必要であり、あなたに対してそれだけ大きなエネルギーを使ってくれるということなのだ。嫌いというのは興味があるという証拠。人は一方的に好意を向けてくれる相手に対して、嫌いという感情を長く抱き続けることはできないと、どっかの偉い人が言っている。だからこそ、あなたが相手に対して、嘘でも好意を持ち続けるふりをすれば、負の感情が大きければ大きいほど、それが好きの感情に転換したときの威力は凄まじいものになる。

 相手に対して傷つける言葉を向けるのはやめよう。自分に嫌いの感情を向ける相手に対して、すぐに自分も嫌いになるのではなく、自分は逆に好意を向けてみよう。興味をもって積極的に話しかけてみよう。そうすると、世界が広がり、生きていく中で思いもよらない人間や面白い人間にたくさん出会えるかもしれない。人は、好きにせよ嫌いにせよ、大きな感情を抱いている相手に対して、話しかけられると案外嬉しいものである。