大人のカイダン

思ったことをありのままに書いてます。

あの時感じた衝動の名前を私はまだ知らない

  理由は後づけだと思う。人は行動や感覚が先行し、行動の意味づけをあとにする。だから私は、日常生活において自分の「無意識」の部分を大切にしている。

  人の脳は、無意識の部分が9割を占めていると、本に書いてあった。無意識に思うことやワクワクすると感じること。今までの人生の経験からそれを感じ取り、行動に起こすことが、人生を楽しむヒントだと考えている。だから、私が日頃感じている「無意識」を見逃したくない。

  将来の仕事を考えるうえで、様々な話を聞いて、文献を読んだ。仕事内容にワクワクを感じたのは、たった一つの仕事だけだった。私は、その仕事に魅力を感じた。単純に、仕事をする中で、常に自分を「追い込む」ことができる、「成長」を与えてくれる仕事だと感じたからだ。それは、その仕事を知っていくにつれて高まっていった。そういう理由で仕事を選んではいけないのだろうか。論理的な理由付けなど、後からいくらでもできる。その無意識の自分の高まりで仕事を選ぶと危険なのか。

  もしかしたら、仕事をしていく中で「思っていたのと違う」と考えることがあるかもしれない。そう思って人生を転換するのは、手遅れなのだろうか。果たして、仕事を決めてしまったら本当に「引き返せない」の?

  私が大切にしている言葉がある。「百聞は一見に如かず」という言葉だ。いくら人から聞いても、実際に経験してみないと分からない。そう、何事も実際にやってみないと分からないのだ。

  両親はたぶんわかっている。私が思っているよりも、社会は甘い世界ではないこと。そして、仕事をするうえで、やりたくない仕事なんて山ほどあること。けれど、両親は私がやりたいということを止めない。それはなぜか。とりあえずやってみないと分からないことを知っているからだ。仕事を選ぶにあたって意見を言わないことは、いろんな意味を含んでいるのだろう。多分、自分の人生に責任をもて、人生の選択に責任をもて、ということも。

 自分の衝動に向き合って生きたい。せめて、それが許されるうちは。

   常に探求心をもって生きたい。人生はどうやったら楽しく過ごせるかを模索しながら生きていくと、きっと輝いたものになるだろう。

 迷ったら、とりあえずやってみよう。周りから反対にあっても、自分の衝動からくるものであれば、行動したことに何かしらの意味はあるはずだから。何か違う、と思えばやめればいい。

 間違いだらけの人生?正しい道を選んだ人生?そんなの誰にも分からないのだから。